ふりかえりで「お金」の話をする。バリュー・レトロスペクティブという実践
2026-08-28 ・ 元記事: XP 2026 / Ihaksi & Paasivaara (2026)
ふりかえりで、お金の話をしたことはありますか。
「このチームを1年動かすのに、いくらかかっているか」を、メンバー全員が知っている。そんなチームは、あまり多くないように思います。私自身、これまで関わってきた現場を思い返してみても、正確な数字を全員が見たことのあるチームは、ほとんど思い当たりませんでした。
2026年に発表されたある論文が、まさにその話を扱っていました。フィンランドの大企業が、61のチームで2年間かけて「コストと価値のふりかえり」を実践した記録です。バリュー・レトロスペクティブと名づけられたこの実践は、導入当初、参加者から本気で怖がられていたそうです。
今回は、この論文を紹介しながら、日本の現場で何が試せそうかを考えてみます。
どんな研究なのか
論文のタイトルは「From Fear to Reflection(恐れから省察へ)」といいます。LUT University の Suvi Ihaksi さんと Maria Paasivaara さんによるもので、XP 2026 というアジャイル開発の国際会議で発表されました。オープンアクセスなので、全文をSpringerのサイトで読むことができます。
第一著者の Ihaksi さんは、この会社でアジャイルリードとして働きながら研究をしている方です。外から観察したのではなく、自分でこの仕組みを設計し、自分で回して、その結果を研究としてまとめています。
研究のきっかけになった数字が、論文の冒頭に紹介されていました。先行研究によると、プロダクトオーナーの84%が「ビジネス価値の提供を検証している」と答えたのに対して、実際に価値を測定していると答えたのは24%だったそうです。多くの現場で、価値は明示的な計測ではなく、なんとなく評価されている。この差を埋めるために作られたのが、バリュー・レトロスペクティブでした。
進め方は7ステップ、110分
まず、具体的な進め方から見ていきます。論文には、実際に使われたアジェンダの表が載っていました。
① バリュー・レトロの導入(10分)
自己紹介と、ふりかえりの目的の再確認、アジェンダの説明を行います。ここで投げかける問いは「私たちのチームの目的と、責任のスコープは何か」です。
② コストの深掘り(20分)
プロダクトオーナーとビジネスコントローラー(経理側の担当者)が事前に用意した財務データを、全員で見ます。チームの総コストはいくらか。開発と運用のバランスはどうなっているか。内部リソースと外部リソースのコスト比率は。人件費以外に大きなコストはあるか。このチームはどこから資金を得ているのか。
③ 価値の深掘り(20分)
今度は、提供した価値を扱います。チームはどんな戦略的価値を提供したか。測定可能な財務上の便益として何が実現したか。質的な、目に見えにくい便益として何が生まれたか。
④ コストと価値の議論(20分)
②と③を突き合わせます。私たちの目標は十分に野心的か。使っている指標は目的に合っているか。どんな優先順位の衝突が起きて、どう解決したか。何を学び、何を変えたいか。
⑤ マネジメントへの主要メッセージ(15分)
経営層に伝えたいことを、2〜4個に絞り込みます。コストや価値に関して、リーダーシップが知っておくべきことは何か。
⑥ 次のステップとアクション(15分)
具体的な改善アクションと、その担当者を決めます。進捗はどこで、どうやって追跡するか。
⑦ バッファ(10分)
時間超過や、その場で生まれた議論のための予備時間です。
合計110分で、2時間の枠にちょうど収まる設計になっています。参加者はチームメンバーに加えて、ビジネスコントローラーと、スポンサー(マネジメント側の代表)。ファシリテーターはアジャイルコーチが務めます。年に1回、全社の必須プラクティスとして実施されたそうです。
参加者は最初、この場に恐れを感じていた
さて、ここからが本題です。
この仕組みが導入されたとき、参加者はどう反応したか。論文にはこう書かれていました。多くの参加者が、このセッションは糾問やコスト監査のようなものになるのではないか、非難ゲームなのではないか、あるいはレイオフにつながるのではないかと懸念していた、とのことです。
ある日「あなたのチームのコストを全員で見て、経営層と一緒に話し合います」と告げられれば、何かの査定ではないかと疑うのは自然なことだと思います。
アジャイルコーチの一人は、こう語っていました。
正直に言うと、いい意味で驚きました。コーチングチームで最初にこのエクササイズを自分たちで練習したときのことを覚えていますが、少し懐疑的な気持ちになったんです。これがうまくいくのか、計測がちゃんと機能するのかと。投資やお金、コストの話を始めたときに人々がどう反応するかも心配でした。でも実際にやってみたら、本当に効果的でうまくいくものだとわかりました。
ファシリテートする側のコーチでさえ懐疑的だったというのは、お金の話をふりかえりに持ち込むことのハードルの高さを示しているように思います。
では、その恐れをどうやって外していったのか。設計上の工夫が2つ挙げられていました。
1つは、Norm Kerthの最優先指令(プライム・ディレクティブ)を土台に据えたことです。「何を発見しようとも、私たちは、そのときに知り得たこと、各自のスキルと能力、利用可能なリソース、そして置かれた状況を踏まえれば、全員が最善を尽くしたのだと理解し、心から信じます」という、あの一文ですね。お金の話という、最も非難が起きやすい話題に対する安全装置として使われていました。
もう1つは、経営層に向けた専用のガイダンスを作ったことです。ふりかえりの結果を見るときに何を期待し、どう振る舞うべきかを、事前にマネジメント側へ伝えていたそうです。参加者を準備するだけでなく、結果を受け取る側も準備していたことになります。
なお、外部の人がふりかえりに同席するときの安全性の確保については、匿名の心理的安全性投票という手法も参考になると思います。
2回目のふりかえりで起きた変化
この研究で私が一番興味深く読んだのは、2回目のラウンドで起きた変化についての記述でした。
参加者は、こう語っていたそうです。「これは吊し上げではないという経験ができた今なら」、副社長が同席していてもオープンに話せる、と。1回目を通過したことで、ようやく心理的安全性が生まれたわけですね。裏を返せば、1回では変わらなかったということでもあります。
議論のトーンも変わったと記録されていました。1回目はコストの話に時間を取られ、慎重な観察に終始していたのに対して、2回目は価値やトレードオフや可能性について、自信を持った創造的な対話になったそうです。
そして、問いそのものが変わりました。もともとは、こう聞いていたとのことです。
もし予算が20%増えたら、あるいは20%減ったらどうしますか
これが、2回目にはこう置き換えられました。
もしチームの予算が2倍、3倍になったらどうしますか
この変更によって何が起きたか。スポンサーの一人が、次のように語っていました。「突然、それまで考えもしなかったアイデアを人々が出し始めました。短い議論のあとで、いくつかのクレイジーなアイデアが実はやれるものだと気づいて、実際に実行することもありました」。
参加者の一人は「明確に問われなければ、決して口に出す勇気はなかっただろう」とも述べていたそうです。
問いの振れ幅を大きくすると、守りの話が夢の話に変わる。これは、未来を扱うふりかえりを設計するときに、そのまま持ち帰れる知見だと思っています。20%だと、現実的な範囲の調整の話に収まってしまう。2倍3倍にすると、現実の制約から一度離れられるわけですね。
顧客から遠いチームは、価値を語れなかった
この研究には、耳の痛い発見もありました。
顧客に直接向き合わないチームは、自分たちの価値をうまく語れなかったそうです。インフラ、データ基盤、社内向けサービスを担当するチームは、自分たちのインパクトが見えにくい。あるアナリティクスチームは、自分たちの価値を「ビジネスがより賢い意思決定をするのを助けること」と表現していましたが、これは数字にしにくいものです。
さらに、ITやプラットフォームのチームはコストにはとても詳しいのに価値を語るのが苦手で、顧客に向き合うチームはその逆だったという傾向も報告されていました。得意不得意が、きれいに裏返しになっています。
この問題に対して、あるチームが見つけた打開策が、私はとても好きでした。
もし私たちのチームが存在しなかったら、何が起きるだろう?
価値を直接語ろうとすると言葉に詰まるのに、「なくなったら困ること」なら出てくる。隠れた貢献を浮かび上がらせるための、うまい問いの立て方だと思います。これは単体でも使えそうです。チームの存在意義があいまいになってきたとき、この1問を投げるだけでも議論が動くかもしれません。
コストデータを見たことで起きた意思決定
効果として、論文にはかなり具体的な事例が載っていました。
あるチームは、コストデータを見たときに、チームの予算の18%を1つのレガシーシステムが消費していたことに気づいたそうです。スポンサーとの議論を経て、そのシステムの廃止と置き換えを優先するという意思決定がなされ、結果として数百万ユーロ規模の節約につながったと書かれていました。
アジャイルマスターの証言が引用されています。
それまでの計画では、10年代の終わりごろに退役させる予定でした。でも、コストが顔面に叩きつけられた瞬間、決定は下されました。バリュー・レトロスペクティブのテーブルの上ではなかったにせよ、ほぼ直後には。年内にはシステムを停止する見込みです。
長く先送りされていた判断が、コストを可視化しただけで動いた、という話です。
別のチームでは、自分たちとスポンサーとで、プロダクトのゴールの解釈がずれていたことが発覚しました。スポンサーは販売寄りに、チームは顧客体験寄りに捉えていたそうです。気づかないまま走っていたずれが、この場で表面化して、解消されています。
開発者の一人は「チームを運営するのにどれだけのお金がかかっているのか、その数字が画面に映し出されるのを見たときはかなり驚きました」と語っていました。
論文が書き残していた懸念
ここまで良い話を並べてきましたが、論文はそこで終わってはいませんでした。
スポンサーの一人が、こんな発言を残していたそうです。
ふりかえりは安全な場であるはずですが、私個人としては、世の中はそこまで甘くないと思っています。ほとんどの人は、そしてプロダクトオーナーもこれを理解していると思いますが、こう考えるはずです。「このチーム(と資金)を存続させたいなら、よほど良い答えを用意しておいたほうがいい」と。
この発言が論文にそのまま載っているところに、誠実さを感じました。心理的安全性は、達成したかしていないかの二択ではないのだと思います。予算が絡む場では、どこまでいっても完全には消えない緊張が残る。それを認めたうえで、それでも回している、というのが実態のようです。
改善点として挙がっていた内容も、日本の現場で予想される課題とほぼ同じでした。プロダクトオーナーが準備をほとんど担うので、当日の議論もプロダクトオーナーが独占してしまう。開発者がもっと発言できるようにしたい。問いが抽象的すぎる。テンプレートはあるのに一貫して使われていない。
どこの現場も、悩みは似ているのだなと思わされます。
日本の現場で試せること
61チームで年次実施というのは、さすがに大がかりです。そのまま真似できる現場は多くないと思います。ただ、要素に分解すれば試せることがありそうです。
1. 数字を1つだけ持ち込んでみる
いきなり総コストを出すのは難しくても、何か1つの数字ならどうでしょうか。使っているSaaSの月額、動かしているサーバーの費用、あるいはチームの人数と平均的な単価から出したざっくりの月次コスト。正確でなくてもかまいません。桁が分かるだけで、議論の質は変わります。
2. 「もしこのチームがなかったら」を1問だけ聞いてみる
これは今日のふりかえりからでも使えます。5分でいいので、この問いだけを投げてみる。特に、社内向けや基盤系のチームで効きそうです。
3. 問いの振れ幅を意図的に大きくする
「もう少し良くするには」ではなく「10倍にするには」。「予算が少し増えたら」ではなく「3倍になったら」。現実的な問いからは、現実的な答えしか返ってきません。
4. 1回で判断しない
これが一番大事かもしれません。この研究では、1回目は恐れと様子見で終わり、2回目でようやく変化が起きていました。新しい形式のふりかえりを導入したとき、初回の手応えのなさだけで「この手法はうちに合わない」と判断してしまうのは、もったいないことだと思います。
おわりに
ふりかえりは、たいてい「どう働くか」を扱います。この研究が挑んだのは、そこに「その仕事に何の価値があるのか」を持ち込むことでした。
論文の結論部分に、印象に残った一文がありました。提供した価値が増えたことを証明したわけではなく、この研究の貢献は、コストと価値を「議論できるもの、見えるもの、行動に移せるもの」にしたことにある、と書かれています。
測れないものを無理に測ろうとしたのではなく、話せるようにした。ふりかえりというプラクティスの本質を、うまく言い当てているように感じました。
みなさんのチームでは、お金の話をしていますか。もししていないなら、それはなぜでしょうか。
出典
- Ihaksi, S., Paasivaara, M. (2026). From Fear to Reflection: Value Retrospectives to Enhance Value Creation in Agile Teams. In: Goldman, A., et al. Agile Processes in Software Engineering and Extreme Programming. XP 2026. Lecture Notes in Business Information Processing, vol 578, pp. 20-36. Springer, Cham.
- 論文全文(オープンアクセス): https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-3-032-22375-3_2
- DOI: https://doi.org/10.1007/978-3-032-22375-3_2
- インタビューガイド: https://doi.org/10.6084/m9.figshare.30767684
- 本記事は、上記論文(Creative Commons Attribution 4.0 International License, CC BY 4.0)の内容にもとづいて執筆しました。引用部分は原文からの日本語訳です。